儀式~青い月~ 第1章


あの満月の夜、あなたと出会ったことは一生忘れません。


小高い丘の上に建てられた西洋風の館がある。
生糸や絹製品を外国へ輸出している神山家(かみやまけ)のお屋敷だった。
彼には、二人の子供がいたが妻は娘を生んですぐ亡くなった。
子供のうち一人は息子で、海外へ留学しており帰ってくることはほとんどない。
その為、この屋敷にいるのは彼ともう一人の子供である娘の二人暮らしである。
そして身の回りの世話をする使用人がざっと二十名ほど働いていた。
近隣の村々から働きにきており、屋敷に寝泊りしている僅か数名を残し、他の者は家路に着くという暮らしをしている。
季節は折しも春を迎えた卯月(四月)の半ば、屋敷が俄かに慌ただしい様を呈していた。
それは普段、夜が遅い神山家当主が珍しく早く帰ってくるとの知らせが舞い込み、使用人たちは正月さながらのお掃除を命じられていた。
さほど汚れてもいない障子を張り替え、窓という窓をすべて磨く。
休む暇もないほどに、彼らは忙しく働き回る。
するとそこへ屋敷の本館と別館を繋ぐ渡り廊下を足取り荒く、廊下を歩いているのはストレートの長い黒髪が背中に流れる、派手な色のワンピース姿の女性がいた。
口元を不敵に歪めた彼女は、渡り廊下中程で一人窓ふきをしている一人の少女を見つけ立ち止まったのだ。
着古した元の色さえも分からぬ着物姿をしており、肩口で切り揃えられたおかっぱ頭に眉あたりで切り揃えられた前髪。
黒目がちな瞳は伏せられ、彼女が来たことにはまだ気づいていないようだった。
彼女より五つか六つは年下とも思われる少女に、彼女はわざと優しく声をかけたのだ。
「小夜(さよ)?」
小夜と呼ばれた少女は、傍目で分かるほど体を震わせた。
彼女の方へ顔を向けながら思わず手を止め、雑巾を自分の脇へと置くと小夜の振り向きと共に、瞳が不安げに揺れた。
「なんでしょうか?美佳子(みかこ)おじょう様」
控えめにそう言うと、おかっぱ頭を軽く下げる。
美佳子と呼ばれた彼女は、満足げに微笑んだ。
「何?何にとはまぁ、なんとも偉そうじゃないの。この私がわざわざ声をかけてあげたというのに・・・」
彼女は神山美佳子と言い、現当主が愛する大事な愛娘である。
今まで父と兄に甘やかされて育ったために高飛車で、わがままな態度はお嬢様の典型だった。
「ねぇ、小夜。私、欲しいものがあるのよ」
有無を言わさぬ口調と、そしてどこか鼻につくような声に内心小夜は、またかと内心ため息をつく。
買って来た物をわざと自分に見せ、高くて買えないでしょうと、声高々に自慢する。
小夜ばかり彼女はそういう態度を取るものだから、どこか気に触るところがあるのかもしれないと思い、好かれようと努力したが無駄だった。
だから今の小夜に出来ることは、彼女の言うことを黙って聞き流すことしかできない。
他に何も出来なかった。
視線の端で、彼女の着ている奇抜な色が閃光のように散る。
眩しさに目を細めながら、小夜は小さな声で答える。
「何を・・・取ってくればよろしいのでしょうか?」
ほら来たと、美佳子の口端が釣り上がる。
まるで、獲物を捉えた獣のような目だ。
「【ブルーフラワー】を取ってきて欲しいの」
彼女の言う【ブルーフラワー】とは、この屋敷の裏の山に咲いている花のことだ。
しかし滅多に咲かない花らしく、自分自身も見たことがない。
分かっているのは夜、青白く光るということから青い花【ブルーフラワー】とも言われていることだけ。
「是非、お父様にお見せしたいの。だから取ってきなさいな、小夜」
やらなければならないことは山ほどあり、小夜とて暇ではないのだ。
しかし、逆らうことができない事はこの数ヶ月で理解していた。
視線を彷徨わせながら、小夜は深々と頭を下げる。
「わかりました。今すぐ・・・いってまいります」
雑巾と桶を手にした小夜は、美佳子に一礼して去ってく。
「本当に、つまらない子」
その後ろ姿を憎々しげに眺めながら、美佳子は吐き捨てた。


まるで捨てられた子猫のように、小夜は歩いていた。
手には雑巾の入った水桶が、歩くたびに揺れるのでまるで自分の心のようだと、どこか他人後のように思う。
桶に体を揺すられながら、飯炊き場へと向かう。
そこへまず行き、桶を置いてから籠を取りに行き、裏山へ行く。
頭の中でその道順を呟きながら飯炊き場へ行けば、野菜を刻む音やおいしそうな匂いが鼻腔を擽った。
大机の上に置かれた朱塗りの器の中に、金平糖と一緒にミルクキャラメルやチューインガムと言ったモノの中に、長方形の茶色いものが置かれている。
それはチョコレートで、その値段はとって高く、気安く買えるものではなかった。
けれども、このお屋敷に勤めて始めてチョコレートを食べた時の感動を今でも小夜は覚えている。
それ以来、彼女の大好物になったが山へ行って青い花が見つかるまで、屋敷には戻れない。
恐らく夕飯の時間にも間に合わないだろう。
大好きなチョコレートを貰うことすら、きっと出来ない。
風船のように萎み行く心に、思わず泣き出しそうになりながらも顔を上げる。
すると三十過ぎの女性と、目があう。
少しふくよかな体つきをしており、小さいけれどもぱっちりした目はどこか愛嬌がある彼女は小夜の叔母で、この屋敷での仕事を世話してくれた人だった。
「小夜、どうしたんだい?」
「おばさん・・・」
「なんだい、またなにか言われたのかい?」
叔母自身もこの屋敷で働く者の一人で、厨房の一切を任されており、彼女の作る料理は町一番と評判だった。
小夜は首を縦に振りながら、再び歩き出して飯炊き場から外へ通じる戸の傍で桶の中にあった水を捨てる。
「青い花を取ってくるように言われたんです」
「なんだって!?」
叔母の大きな声に、その場にいた全員が振り返った。
「どうしたってんだ、またお蚕さまのわがままかい?」
「そうだよ・・・。青い花を取って来いなんて、信じられないねぇ」
「全くだ」
この世の終わりのように叔母は言う。
美佳子のことを使用人たちは揶揄して『お蚕様』と影でそう呼んでいる。
そのことを美佳子は知らない。
小夜は、ため息をつきながら、青い花を見つける事がどれほど絶望的か分かっていた。
けれども、行かなければまた美佳子に何を言われるか、たとえ行ったとしても言われることには変わらない。
でも。
「では・・・行ってきます」
「小夜!!」
これ以上、叔母の言うことを聞きたくはない。
今からちょうど一年前、関東地方南部を襲った地震で両親を失った小夜を引き取ってくれた。
これ以上、叔母に迷惑はかけたくはない。
小夜は、足早に薪などが置いてある資材置き場へ向かう。
そしてそこにあった籠を背中へ背負うと、山へ向かって歩きだした。
太陽は高く、空は青く澄み渡る。
空を見上げなら小夜は、日が暮れる前には帰りたいと思う。
一歩一歩と足を踏み出すたびに、自然と駆け足になっていた。


鳥が羽ばたいた。
そう思って小夜は、顔を上げる。
けれども鳥の羽音はするものの、姿は見えなかった。
しんと静まり返った森の中、頭上に輝くのは銀色の月。
そう言えば、今日は満月だったとぼんやり思い出した。
肩に食い込んだ籠が重く、一歩踏み出すたびに背中で揺れ、土と草の濃厚な香りが鼻腔を覆う。
美佳子に頼まれた花以外にも、食料になりそうなものを取ろうと思い立ち、籠の中へと放り込んでいたが、些か取りすぎたようだ。
暗かったが月明かりのおかげで、数歩先まで見通せる。
これで月のない真っ暗闇だったが、小夜は一人途方に暮れていただろう。
「はぁ・・・」
覇気のないため息を一つ零し、小夜は一本の木の根に座り込んだ。
昼、少し前にこの森へと分け入り青い花を探しに来たが、やはり珍しいというだけあってなかなか見当たらない。
見たという人の話を小耳に挟んで覚えていたのが幸いし、ある程度の場所は限定されて探して見たがそれもあてにはならなかった。
背から籠を下ろし、脇に置く。
その中には道中で見つけた茸や山菜、果物が顔を覗かせている。
むせ返るような土の匂いとそれらの放つ匂いに、小夜は心が落ち着くのを感じた。
周りには誰もいない。
あるのは時折耳にする木々が葉をこすり合わせる音で、小夜は片手で軽く土を掴み、ほろほろと崩れるさまを、何ともなしに見ていた。
一人でいると、ホッとする。
屋敷にいれば美佳子の視線があり、他の使用人からは同情的な視線と好奇心に晒され、叔母にはため息をつかれた。
そんな日々を続けたくはないと思いつつも、それを変えるだけの力を小夜は持っていなかった。
叔母は優しい。
まだ両親が存命だった頃、小夜の家へと何度も足を運んでもらったことがあり、まだうんと幼かった頃は虹色の飴玉をくれた思い出がある。
叔母は父方の親戚で、厳しい反面優しく頼りがいがあった。
だから周りからも頼りにされ、慕われる。
そう言えば、父も料理が上手だったと、小夜は思う。
近くの料理屋さんで働いていた父は、家でも料理を作って自分たちに振舞ってくれた。
だから小夜は、母親が料理を作ったという思い出ほとんどない。
以前、父に聞いたら母の料理は絶望的にまずいらしく、それは叔母も納得するほどだった。
けれども今となってしまえば、その絶望的にまずいと言われた母の料理を一度食べて見たかったと思う。
もう二度と母の味を、味わうことはないのだ。
じんわりと目頭が熱くなり、小夜は膝を抱えた。
叔母の作る料理はとてもおいしい、けれどもどうしても母の料理が食べたくて仕方がない。
食べることすらなかった母の味は、小夜の中で悔いとして残っていた。
小夜は涙で霞む向こう側にふと、誰かの視線を感じたように顔を上げる。
気のせいかと思い、数度瞬きを繰り返し、着物の袖で涙を拭う。
「・・・あっ」
そこには、青い花があった。
月の光が差し込むその先に、一輪の青い花が四つの花弁を、光を取り込もうとするかのように広げている。
真ん中に黄色い粒が三つほど見受けられ、それが光に反射してキラキラと輝く。
まるで星のようだった。
やや開けたその場所は、小夜のいるところから幾ばくも離れていない。
それなのに、青い花があることを今の今まで知らなかった。
小夜は、ふらふらと誘われるように青い花の元に歩み寄る。
花の近くにしゃがみ込み、惚けたようにその花を凝視した。
今まで見たことがないぐらい鮮やかな青は、夏の日に遥か遠くへと誘うような空に似ている。
それでないのだったら、海の青だ。
両親と一緒に海へ遊びに行ったとき見た、あの眩しいほどの青。
どちらも夏を彷彿させる青さが、小夜の目の前にあった。
小夜はそっと両手を差し出すと、その青い花を包み込む。
何ともかぐわしい香りが鼻腔を擽り、それだけで夢見心地がする。
小夜は丁寧に、青い花が生えている土を掘り返す。
このままにしておきたい気持ちもあったが、この花を持って行かなければまた、小言を言われる。
それだけを回避するために、小夜は青い花を摘もうとしていた。
根を傷つけぬよう配慮しながら、花の周りを掘り下げていく。
そして、持ってきていた手ぬぐいを地面に広げた。
その上に、花をそっと中央へ置くと土が溢れぬようにしながら根を包んでいく。
それを小夜は大事そうに胸元へ抱え込んだ。
近くに川があったことに思い出しながら、籠を背負いに戻った。
そして籠を背負ったその時、狼の遠吠えが聞こえてきたのだ。
小夜のいる位置からそれほど離れていない距離で聞こえた遠吠えだった。
「っ!!」
さっと身を翻すと、胸元に抱え込んだ青い花を抱きしめて、小夜は走り出した。
月明かりのおかげで、辺りは見えたがどこから聞こえてくるのか分からない遠吠えが小夜の耳に木霊する。
感覚を置かずに聞こえてくる遠吠えは、数を増しているようにも聞こえた。
自分の荒い呼吸音が耳朶を叩き、縺れそうな足を叱咤する。
もし見つかったらどうなってしまうのだろうという悪い予感ばかりが小夜の頭を支配した。
汗で髪が張り付くのが気持ち悪い。
草を乱暴に踏みしめる音と、泥が跳ね足に張り付く。
足音がした。
狼の足音に間違いないと小夜は思う。
逃げなきゃ、逃げなきゃ。
もしここで小夜が死んだらきっと叔母は悲しむだろう。
美佳子は笑うだろう、小夜が死んだと喜ぶ。
いやだ、そんなのは嫌だ。
言いようのない恐ろしさに小夜は取り付かれ、脇目もふらず走り続ける。
「あっ・・・!!」
そう叫んだときはもうすでに遅かった。
森を抜け、視界が開けると同時に足元の感覚を無くす。
「ああああああああああああああああっ!!」
転がり落ちる、花を胸元でしっかりと抱きしめたまま小夜は落ちていく。
どっちが上か下かも分からなくなっていった。
視界が回転する。
聞きたくもない不快音が聞こえたが、その音が何なのかなんて考えたくもなかった。
山の中に小夜の叫びが朗々と響く。
そして一際大きい音がした。
「きゃあっ!!」
重い物が地面へ落ちるようにして小夜は投げ出される。
体は横倒しになり、体の節々が痛かったが花は無事だった。
「っ・・・」
薄目を開けると、小夜は体を起こそうとした。
けれども思うように動かず、小夜はそこで丸くなる。
無理に体を動かすことはしないほうがいいと、地震の経験で知った。
そして、抱えていた両腕の一動作一動作をゆっくり行う。
花を地面へ置き、両腕に力を込めつつ体を起こした。
着ていた着物は転がり落ちたせいもあって、泥だらけだ。
木々にでも引っかかったのか、所々破れてもいるし、己の片足には擦り傷がある。
鈍い痛みが小夜を襲い、思わず顔を顰めた。
「くっ・・・」
体が痛かったが、どうやら生きているようだった。
その場でしゃがみ込み、後ろを振り返る。
小夜の後ろには転がってきたと思われる崖があった。
草が生えており、その所々に木が生えている。
あれにぶつかっていたらどうなっていたか分からないと、今更ながら肝を冷やした。
そして自分の周りには籠からこぼれ落ちた木の実やらが散乱しており、籠が自分との間にあったから助かったのだろう。
籠は離れた場所で転がっており、小夜はよろめきながらもそれを取りに立ち上がった。
すると片足へ再び痛みが走る。
転がったとき、くじいてしまったのだろうか。
籠のもとへたどり着く。
どうやら壊れていないようなので、その中へ花をそっと入れた。
「よかった・・・」
安堵の溜息とともに漏らすと、ふと月明かりに照らされて小夜の目の前で何かが浮かび上がった。
それは屋根瓦に白い両開きの扉と、一目見れば分かるほど古い蔵がそこにあったのだ。
片足を半ば引きずるようにして小夜は蔵の方へ、歩いていた。
いつしか狼の遠吠えも聞こえなくなっている。
「こんなところに・・・蔵なんてあったの?」
両開きの扉の前に立つと、その大きさは普通の蔵よりも横幅と縦幅が倍にあった。
両親と一緒に暮らしていた家がすっぽり入り込み、それでも余りあるほどの大きさがある。
小夜が視線をさまよわせると、扉の錠前に目が行った。
鉄の鈍い音が風に揺られて、響いている。
なぜか、錠前が外れていた。
小夜は辺りを見渡したが、あるのは風が木々を揺らす音だけ。
しんとした静寂に包まれ、もし誰かが小夜の様子を疑いながら傍にいたとしても分からなかっただろう。
サラサラと風が小夜の髪を弄ぶ。
生唾を飲み込み、小夜は自分でも分からない衝動に駆られて、扉に手をかける。
もしかしたらこの蔵は、神山家の持ち物かもしれない。
だとしたら勝手に中へ入って、指摘されたら言い逃れもできなかった。
それでも小夜の中には、美佳子に対するあてつけもあったのかもしれない。
散々言われ続け、この蔵へ入ることは小夜にとってささやかな抵抗のつもりだった。
半ばどうにでもなれという、ヤケクソにも似た気持ちもあったが。
両手に力を込めると、重苦しい音を立てながら外側へと開いていった。
すんっと鼻をついたのは埃っぽい匂いで、思わず小夜は二三度咳を繰り返す。
「・・・」
人一人が通れるだけのスペースを開けると、そこから月の光が内部へと入り込み中を照らした。
「ほぅ」
感心とも呆れとも取れる声は、大人の色気を含んだものだ。
大きく開いた扉の内側へと光を招き入れた小夜は、あまりのことに声さえ出なかった。
蔵の奥行を半ば以上使った畳敷きの居間に、円卓と必要最低限のタンスが置かれている。
その前には不釣合いなほど頑丈な鉄の格子が奥と手前を隔てていた。
格子の手前は6畳ほどの空間があり、そこには粗末な机と椅子がある。
小夜が特に目を奪われたのは、格子のすぐ向こう側に立つ人の姿だった。
腰以上に伸びた長い黒髪に切れ長から琥珀色の瞳が覗く。
すっと通った鼻筋に、日に晒されたことのない白い肌はきめ細かい。
着ている着物の合わせ目から覗く鎖骨は、滑らかで触ったらそれだけで傷つけてしまいそうになる。
我知らず、小夜は頬を染めた。
「珍しいな、お前みたいな童が来るとはなぁ」
声の調子からおそらく男性だろうか。
にぃっと猫が笑うような顔で、彼は小夜を見詰める。
すると体の芯がじんと熱を帯びたようで、早鐘のように鳴る心臓の音が、耳元で聞こえるようだ。
「すっ・・すみませんでした!!」
「まぁ、待て」
慌てて後ろを振り返った小夜を彼は引き止めた。
無理に引き止めるような響きは一切なく、どこか優しい。
小夜は、高鳴る鼓動を胸元に手をやることで押し止め、振り返る。
今までこんな綺麗な男の人を小夜は見たことがなかった。
村にいる男たちなんて目じゃない。
家族と一緒に暮らしていた頃に、出会った異国の人のように背が高かった。
容姿も小夜を招く手招きですら、洗練されている。
ふらふらと小夜は彼の手が届く方へ歩いて行った。
「いい子だね」
ポンと頭に手をやられ、小夜はそれだけで体が痺れるような心地がした。
背は思ったよりも高く小夜の頭一つ分以上ある。
「お前、怪我をしているな。それも汚れている」
「あのっ・・・これは・・・」
小夜は己の格好を見ながら俯いた。
この人はこんなにも綺麗なのに、対する自分はこんなにも汚い。
そのことに涙する小夜を尻目に、彼はぽつりともらした。
「甘美だな・・・お前は」
小夜が顔を上げるよりも前に、肩を引き寄せられた。
力強い腕に抱きしめられ、小夜は息が止まる。
思わず、吸い込んでしまった香りは心地よかった。
ずりっと布の擦れる音がすると同時に、肩口に痛みが生じる。
「あっ・・・」
声を上げた時に、耳朶を抱くのは誰かが何かを啜る音だった。
刹那、小夜を襲ったのは甘い痺れと熱が一気に全身を駆け巡る。
立つことすら出来ず、小夜は彼へしがみついた。
断続的な声を上げるたびに、彼の背中へ回した手に着物の裾が食い込む。
何かを我慢するようなむず痒さを吐く息に乗せて、小夜は吐き出す。
彼は強く小夜の後頭部を掴み、肉食獣のように貪っていく。
一瞬、彼の瞳が琥珀色から赤へ変化したがそれも、次の刹那には戻っていた。
肩口から顔を上げ、彼は小夜を見る。
小夜も同様に彼を見たが、世界がゆっくりと歪んでいくのを見た。
あっと思った時はすでに体は、地面へと倒れている。
籠の乾いた音がする。
指一本動かすことすらできない熱と歪みの先で、彼は微笑んでいる。
その微笑みはどこか嬉しそうでもありながら、泣いているようにも見えた。
彼がなぜ、そんな顔をしなければならないのか分からないまま、小夜の意識は闇へと沈んでいった。

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