儀式~青い月~ 第3章


寝ているのか起きているのかが分からない日々が、一週間以上続いた。
やっと今日、起き上がれるかと嬉しい半面辛くもある。
てっきり寝ている小夜を、美佳子が嘲りに来るかと思えばそんなことは一度もなかった。
何もしてこない美佳子を薄気味悪い心地で、布団の中にまんじりともせずいたのだが、これからはそうしてもいられない。
体が治ればいつものように屋敷で働き、美佳子の罵声も聞こえるだろう。
自分は心のどこかで、美佳子の罵声を喜んでいる気持ちがあった。
嫌悪する気持ちもあったが、それ以上に彼女と親しくなりたいと思う。
お互い家族をなくしている。
きっといいお友達になれると小夜は思っているのだ。
くじいた足は、軟膏を塗りつけたら痛みは収まった。
「小夜や、ちょっといいかね?」
「あっ・・・はい」
襖が開く音と共に叔母が入ってきた。
よっこらせと体を起こし立ち上がると、小夜の側へ寄ってくる。
「顔色はいいようだね、でも油断しちゃだめだよ。明日もう一日休むかい?」
「いいえ、明日から働きます」
これ以上、叔母にも他の使用人にも迷惑をかけられない。
それに、助けてもらったお礼もまだ言えていなかった。
「ちょっといいかな?」
「旦那さま!!」
黒い着物に羽織姿の男性が、入ってきた。
小夜は今まで旦那さまに直接、会ったことがない。
遠目で見る程度しかできなかったし、なによりも美佳子が近づけないようにさせていたのも大きな原因だった。
「もう具合はいいのかな?」
「あっ・・・はい。あの、わざわざ来て頂いてありがとうございます。それと、私・・・」
深々と頭を下げる小夜に、彼は微笑んでみせた。
「いや、こちらこそ無事でよかった。幸子さん、済まないけど・・・席を外してもらえるかね?」
「はい、旦那さま」
心得たとばかりに去っていく叔母に、小夜はその後ろ姿を名残惜しそうに見つめた。
叔母が襖を閉め、足音が遠ざかるのを聞きながら彼は言う。
「私と二人じゃ、不安かね?」
「いえ、滅相もありません」
毛布を掴む手に力を込めながら小夜がそう言うと、彼はため息をつく。
小夜は彼を盗み見ながら、美佳子とは似ていないと思った。
以前叔母から、亡くなった母親に似たのだと聞いたことがある。
だからなのだろうか、彼から放つ雰囲気は柔らかく穏やかな日の光にも似ていた。
対する美佳子は、夏の容赦ない日差しだ。
「実は、幸子さんの姪として君に頼みたいことがあるんだ」
そう切り出す彼に、小夜は居住まいを正した。
彼が幸子と、叔母の名前を出すたびに若干の親しさを感じる。
「あの、叔母とはお知り合いなんですか?」
長く勤めているのだから当たり前だろうと、小夜は内心口をついて出た言葉に狼狽する。
聞いてはいけないことだったと後悔していると、彼は微笑んで見せた。
「彼女は私にとって姉のようなものなんだよ。だから君がそう感じるのも無理はない」
「姉・・・」
しかし、叔母へ向けられるその視線はどう考えても、彼の発した響きとは真逆の響きを持っている。
小夜はどうしていいか分からず、叔母の去った襖を見つめていると彼は、諭すように口を開いた。
「君に、とある人の世話を頼みたいと思っているんだよ。お願いできるかね?」
「お世話・・・ですか」
世話をと言われても、正直しっくりこない。
この家に世話をしなければならないような人がいただろうか。
「君は・・漆黒の髪に琥珀色をした彼を覚えていないか?」
挑むようにそう言われ、小夜は首を傾げたがようやく思い当たった時には、既に彼は何事かを納得していた。
「そうか、なら都合がいい。君には彼の世話をお願いしたい」
「私が・・・ですか?」
小夜は聞き返す。
果たしてそれを自分が、出来るのだろうか。
自分に頼むよりも、この屋敷に使えている日が長いものに任せればいい。
何故、ほかの人に頼まないで自分にこの人は頼みに来たのだろうか。
「君に頼みたい」
強い言葉に小夜は我知らず、はいと小さく答えていた。
どうして、自分を選んだのかは何となく分かったのだ。
叔母の姪だからだろう。


美佳子が一言、行くわよっと布団で夕食を食べていた小夜へ、有無を言わさず連れ出したのは、その日の夜だった。
慌てて身支度を整えて、厨房へ彼専用のお膳を受け取り、屋敷を出た。
風一つない晩で、小夜は体が震えるのを必死に我慢していた。
けれどもそれでも僅かばかりの震えが腕を伝い、手を伝って両手に持っているお膳を震わせる。
先へ行くのは美佳子で、その後ろを小夜が歩いている。
痛めた片足は、微かな疼きを小夜へ伝えながらも歩けないほどではない。
もし足がまだ痛いと言おうもののなら、余計酷くされると小夜には分かっていた。
うつむき加減で歩く小夜を美佳子は舌打ち一つで、無視した。
胸の奥から煮えたぎるような感情を一人抱え、颯爽と歩く。
「・・・」
しばらくして先をゆく美佳子が立ち止まり、小夜はようやく顔を上げた。
いつか見たあの蔵がそこには、以前と変わらぬ姿で建っている。
そこでようやく小夜は、今すぐにでも逃げ出したいと思った。
ここにいるのは小夜と美佳子だけだ。
何も言わず、美佳子は袂から無骨な鉄の鍵を取り出すと錠前へ差し入れる。
静まり返ったその場にそぐわぬ音が異様に響いて、美佳子の細い腕が鉄さびた取っ手に手が伸びた。
月明かりに照らされて青白く見えたのは気のせいだろうか。
ギィと耳障りな音を立て、扉が開かれた。
小夜は生唾を飲み込むと、一歩足を踏み出す。
「ここには神山家の神がいるの」
己の感情を抑制するかのように美佳子は、言う。
言葉の意味が分からないままに、小夜は扉の中へと入るよう促された。
「あっ・・・」
彼がいた。
鉄格子の向こう側、片足を立てて座る彼がいる。
一歩、下がった小夜だったが後ろで大きく扉が美佳子によって閉められた。
逃げられない。
「来なさい」
自分に対してだろうかと思っていたがそれは、向こう側の彼に対して発せられたものだった。
彼は無言で立ち上がるものの、その動作は遅い。
面倒だと思っているのは彼のだらしない歩き方で、分かる。
そして美佳子は己の右袖を肘までたくし上げた。
その姿はまるで男のように、潔い。
腕を向こう側にいる彼に対し、差し出すとその腕を彼が掴んだ。
「よく、見てなさい」
見せつけるように美佳子は、言い放つ。
彼は美佳子の傷一つない荒れたことすらない肌に舌を這わせる。
粘着質な響きを持って生まれた音を、小夜は身動き一つせず凝視していた。
そして彼は口を開けて、美佳子の腕に齧り付く。
獣が肉を貪るように、無心だった。
「あぁ・・・」
美佳子の口から甘い響きが漏れる。
同じ女である小夜ですら頬を染めるほどに、美佳子は女として甘く瑞々しさを放っていた。
彼の口からすぅっと音もなく、何かが吸われているのだと小夜は悟る。
美佳子の腕から一筋、二筋と、血が垂れ地面へと落ちていく。
刹那のあと、彼は美佳子の腕から顔を上げるとその切れ長の目は赤く染まっていた。
それもつかの間、すぐに戻ってしまう。
彼は唇についた血を猫のように舐めとった。
美佳子の腕には二つの小さな穴が穿たれており、それは小夜の肩にあるものと同じものだと理解する。
彼は一体、何者なのだろうか。
神山家の神だと、美佳子は言ったかどういうこと。
「彼は、この神山家に仕えてきた神なの。今から数百年前からうちにいるのよ」
数百年と反独するものの、実感が湧いてこない。
「彼がいるから神山家は栄えてきたの。けれどもその神を御しできるのは神山家の女子だけ」
振り返ると、美佳子の黒髪が花のように広がり彼を覆い隠した。
「これが彼との契約の証。今まで一族以外の者の血を吸ったことがないのにねぇ」
合わせ目を開き、彼女は胸元に浮かんだ印を見せた。
それは花だ、青い花。
美佳子が取って来いといったあの青い花だった。
彼の方を振り返り、美佳子はその手を掴んだ。
音がするほどに彼の腕を掴むと、そのまま爪を食い込ませた。
「ダメじゃないの。私たち一族以外の血を吸っちゃ・・・」
目は少しも笑っておらず、ただ妖しくも妖艶に光っている。
ぷつりと血の玉が浮き出て、腕を伝いながら落ちていく。
「あの・・・」
「あなたにはコレの世話をしてもらうの。朝・昼・晩と食事を持ってくればいいのよ。簡単でしょう?」
ザッと彼の腕を爪で引っ掻いて、小夜の方を見やった。
その後はまるで猫に引っ掻かれたようになっていた。
「分かりました」
その傷から逃れるように小夜は目を背け、答える。
「鍵はこれ。無くさないでね」
音もなく、小夜の目の前に鍵が落ちる。
そして何事もなかったように、美佳子は立ち去ったのだ。
小夜は思い出したようにその鍵を拾う。
自分の手にすっぽり収まるその鍵を、隅にあった机の上へと置いた。
そして、食事をどこへ置けばよいかと思っていると格子の真ん中あたりに開閉式の小さな扉が付いているのを見つける。
まるで囚人のようだと小夜は思った。
彼が本当に神なのだとしたら、だったらなぜこのような扱いを受けなければならないのだろう。
それを開いて小夜がお膳を置いて、手を引こうとしてそれを掴まれた。
彼が今、目の前にいる。
「あの・・・」
言いようのない恐怖に足が竦んでいると、ギリっと歯を噛み締める音が聞こえた。
「まさか、二度お目にかかろうとはなぁ」
面白がるような響きで、彼は笑う。
「旦那・・・さまに、頼まれたんです」
「あぁ、あの小物か」
喉の奥で笑いながら彼は、小夜の肩を掴んで格子へと叩きつけた。
「っ!!」
痛い、体が格子に貼り付けられたかのようだ。
そして小夜の肩を露わにさせ、彼は再びそれへ舌を這わせた。
「んっ!!」
体を縮こませ、彼から逃げようとするものの動くことすらままならない。
男の力とはこれほどまでに女と違うのかと、思い知らされる。
「いい匂いだ。あの高飛車女よりもずっと甘い香りがする」
彼は肩から首筋へと舌を沿わせた。
「いやっ・・・やめっ・・・」
腰を引かれ、小夜は涙目で訴える。
彼が笑う気配がして、再び歯が擦れる音が聞こえた。
「やめてください!!」
力強く胸を押し返すと、彼は拍子抜けするほどあっさり離れた。
顔から火が出そうなほどに熱い。
心臓がうるさいぐらい高鳴っていくのが分かった。
「今日はこのぐらいにしておこうか」
そして何事もなかったように彼は踵を返した。
一体、なんだったんだろうか。
それよりもこの人相手に、自分は毎日食事を届けなければならないのかと思うと、酷く憂鬱になった。
後悔あとに立たずとはよく言ったものだと、今更ながら実感する。
彼は、小夜が届けたお膳を無言で、粗末な円卓に乗せると食事を始めた。


彼は、自分が嫌いなのだろうと思う。
多くを語らず、多くを知らないまま小夜は毎日の行事を行っていた。
その間に痛めた足は、以前と変わらないまでに回復している。
「・・・・」
小夜はふと、顔を上げ彼が下げたお膳を見やった。
ご飯粒一つ残すことがなく、食事の間は箸音すらあまり立てずに食べる彼の動作は洗練されていたがどこか、刃の鋭さを兼ね備えている。
少しでも触れたら切れてしまいそうなほどの危うさがあると、小夜は思った。
彼のそばにいる時は、あのようなことがないよう気をつけ気丈に振舞った。
けれどもそれすらも彼にとって滑稽に映るのか、時折忍び笑いが漏れる。
腹立たしさを孕みながらも小夜は、最初会った時の恐怖が抜けていることを知った。
彼の一挙手一動作に、小夜は気をつかう。
振り回されている感がなくもなかったが、それも酷く居心地がいいと思ってしまった。
そして美佳子は、思い出したようにこの蔵へ来る。
それは彼へ血をあげる行為のために来ると同時に、それを小夜へ見せつけることにも彼女には意味があった。
何をそんなに見せつける必要があるのか、小夜には分からない。
ただ、彼を見つめていると胸が締め付けられるのはどうしてだろう。
夢現で見たあの情景が浮かんでくるからだろうか。
あの血を吸われて見た、泣く寸前の子供のような表情はあれ以来見てはいない。
見間違いだったと小夜が思うほどに、彼は飄々としていた。
それは幾度目かの世話の後だった。
彼のもとへ食事を運び、時折中へ入ることを旦那さまから申し入れられて掃除をするようになった頃、季節は移ろい始め、夏のさかりに昼食を届けに来たときだ。
小夜はふと、彼の名すら知らないことを思い出した。
外は蝉が鳴き、歩いているだけで汗が滴り落ちてくる。
だからだろうか、自然と食事も、冷たいものが多くなった。
蔵の中は、ほとんど締め切った状態にも関わらず快適で涼しい。
「あなたの・・・名前はなに」
「はっ?」
格子の向こうで気の抜けたように言う彼に、小夜は頷いた。
名を知らない、彼も私の名を知らない。
小夜は彼から返って来たお膳を机の上に置き、もう一度聞いた。
「そんなことを聞いたものはお前が始めてだ」
「そうなの?私は・・・小夜。あなたは」
誰も聞いたことがないとは不思議だ。
彼は伸び放題の前髪を手でかきあげながら、ぶっきらぼうに言った。
「琥珀(こはく)だ。小夜」
「琥珀・・・さん」
「琥珀でいい」
口の中で琥珀と、彼の名前を転がすと砂糖のように甘い響きがした。
琥珀は円卓に頬杖をついて、こちらを見ている。
「琥珀」
格子の柱をなぞるように小夜は掴む。
「あなたの目と同じ名前ね」
そう言うと琥珀は、こちらに来て手を伸ばす。
以前感じていた恐怖を小夜は持っておらず、ただ頭の上にポンと置かれた手の平の暖かさを感じた。
「小さな夜とは、似合わない名だな」
「別にそんなこと・・ない」
消え入りそうな声で呟くと琥珀の手が、小夜の頬へと誘われた。
彼女の丸い輪郭を辿り、ふにふにと摘んだ。
「饅頭のようだな、お前は」
「酷い」
子供のように拗ねるものの、小夜は琥珀の動作に胸が高鳴る。
どうして、琥珀の言動に自分はこうも振り回されるのだろう。
酷く、不公平な気がした。
そして小夜は彼に始めて手を伸ばし、漆黒の髪をさらりさらりと梳く。
「綺麗な髪、羨ましい」
「そうか、あまり気にしたことがない」
少し驚いた琥珀だったが、小夜にされるがままになって目を閉じる。
猫のようだと思った。
気まぐれで、何を考えているかまったく分からない。
おまけに自分の心をかき乱す琥珀を、小夜はやっぱり不公平だと思った。
「長いわね、今度切ってあげるわ」
そう言ったのは去り際だった。
蔵の戸を開けると、眩しいほどの光と音に目を細める。
あぁ、暑いと内心毒づきながら小夜は振り返った。
「・・・・」
琥珀は驚いた顔をして、小夜を見ていた。
それがなんだか嬉しくて、小夜は微笑む。
彼女が光の中へ消えていくのを見送りながら、琥珀は思った。
名を聞かれたことも、髪を切ろうと言われたこともない。
神山家に仕えるというよりも使えさせ続けられた琥珀にとってここは、牢屋だ。
小夜の血を吸ったのは、ただの気まぐれで甘い香りがしたのは本当だし、悪くないと思った。
高飛車な美佳子からの命令で彼女が世話役になったと聞いたとき、どうせすぐやめてほしいとか言うだろうと思っていたのに、あれからふた月以上経つというのにその気配が全くない。
芯の強い娘だと、琥珀は認識を改める。
自分より頭一つ分以上下にある小夜の顔は、最初こそ怯えに囚われていたが今ではそれすらない。
日が浅いとは聞いていたが、それでも警戒心がなさすぎると思う。
琥珀はぺろりと唇を舐めた。
あの味が今でも、自分の口の中にほのかな甘味を伴ってそこにある。


小夜は顔を上げて空を見上げた。
夜になっても、暑さは変わらない。
背中に張り付く汗の感触に、早く琥珀のいる蔵へ行きたいと思った。
そこまで考えて、はたと小夜は立ち止まる。
両手には、琥珀のところへ持っていく夜のお膳を持っていた。
いつもと代わり映えしない夕食だったが、小夜は一欠片のチョコレートを持参していた。
このチョコレートは夕食時に叔母からもらったものだ。
それを琥珀にも食べさせたいと思ったのも事実だったが、どうしてそう思うのだろうか。
チョコレートを誰かに持っていくと言った時、叔母はどことなく嬉しそうだった。
あの微笑みは一体何なのだろう。
最近、琥珀のもとへ行くのが楽しみになっている自分がいた。
美佳子に言われて嫌々やっていた作業だったのに、琥珀とこうして話すことが酷く嬉しい。
昼のときは名を知って、今日は髪を切ると約束した。
だからお膳と一緒に、ハサミも鎮座している。
胸の中に広がる甘酸っぱさを小夜は感じていたが、それが何なのか気づいていなかった。
鍵をいつものように開け、お膳を片手で持つ動作は最初こそ不慣れで危なっかしかったがそれも今では慣れたものだ。
「琥珀?」
声をかけ、中へ入ると短く応答の声が聞こえた。
「ハサミを持ってきたの。約束したでしょう?」
「本当に持ってくるとはな・・・。下手にやるなよ」
「安心して」
クスクスと小さく笑う小夜に、琥珀はどこか不安そうだった。
小夜のこの髪だって自分で切っているのだから琥珀の髪ぐらい出来るはずだ。
牢の鍵を開け、中へ入ると円卓の上にお膳を置く。
「座って、琥珀」
「わかったよ」
観念した琥珀は、小夜の前に座った。
そうすると、彼女の胸のあたりに琥珀の頭がある。
「じっと、していて・・・」
柔らかい琥珀の髪を触り、小夜はそう言う。
そして、優しくハサミを入れていった。
金属が合わさり、音が生まれる。
ひと房、ふた房と琥珀の髪が畳の上へ落ちていく。
「・・・」
どうしよう、小夜は思った。
切るのを失敗したとか、そういう事ではないのは分かる。
ただ琥珀の髪を切っているだけなのに、それがなぜかとても満たされた気持ちになるのだ。
自分と琥珀の二人だけが、この蔵にいる。
他のみんなは、恐らく食堂で雑談をしながら食べていることだろう。
朝・昼・晩といなくなる小夜を最初は訝しむ人もいたが、旦那さまに頼まれたというとみんな、納得してくれた。
みんな、知っているのだろうか。
琥珀のことを、どうしてここに閉じ込められなくてはならない。
それがとても悲しくて、寂しかった。
切り終えると、小夜は畳に散らばる髪の毛を立てかけてあった箒で払う。
これはあとで集めて、捨てに行くつもりだ。
「どうかな?結構自身あるんだけど・・・」
そう聞きながら小夜は振り返った。
「なんか、スースーする」
「・・・」
腰ほどまであった髪はばっさり切られ、年相応に見えた。
すっと通った鼻筋に、切れ長の瞳はそのままだが日本人離れした顔立ち。
小夜は胸が震えた。
髪を切るのではなかったと、今更ながら後悔する。
「琥珀・・・」
「どうした、小夜」
すっと琥珀の手が、小夜の頬へと伸ばされる。
包み込むような手の感触が酷く生々しく思えたが、逃げることは出来ない。
琥珀から目を反らすことが小夜には出来なかった。
ともすれば口から溢れ出してしまいそうになる。
「これを君にあげる。お礼だ」
そう言って彼の懐から出したのは、亜麻色の色をした物体だった。
「これは・・・」
「琥珀、俺と同じ名前の・・・琥珀だ。もしもの時に持っていてほしい」
そう言って、手のひらに収まるほどの琥珀を小夜に渡した。
両手で持つ小夜の手を、琥珀の両手が包み込む。
「持ってて」
額と額が合わされ、琥珀の息遣いが小夜には聞こえた。
震える、琥珀の睫毛が、小夜の鼓動が。
もしかしたらこの全てを、琥珀に伝えてしまいそうになる。
どうか気づかないでいて、自分のこの震えを。
「うん」
消え入りそうな声で小夜は頷いた。

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